「何歳でも挑戦していいんだ」と勇気をくれる日本で有名な3名の偉人・やなせたかし

モヤモヤ解決

こんにちは、もも海です。
「よし、心機一転挑戦だ!」と思った時、こんな言葉がよぎったことはありませんか?

「今の私の年齢だったらもう遅いよなぁ」
「もっと若い頃から始めてたら人生変わったのかな」
「今から生き方なんて変えられる気がしないや」

これらの諦めの言葉を浮かべた後、「夢ばかり見てないで『現実』見ないとな」なんて楽しい妄想で終わらせてしまった――どこかのタイミングでしてしまうことありますよね。

ただ、私たちは自分の未来のこととして実現不可能なことを想像できません

将来叶えたいこととして考えるなら
・視力が落ちた後にパイロットを目指す
・年齢制限を過ぎた後に棋士を目指す
・戦国時代の武将に会いたい
等々のことは考えないはずです。

ということは、「こうなりたいな」と思った将来は叶う可能性があることになります。
1%か60%かは分からなくても、可能性があるなら年齢を理由に諦めなくても大丈夫です

うーん、そうは言っても絵空事では?

と思われたかもしれません。ですので、今回は実際に遅咲きで成功を収めた偉人を紹介させてください。
先人がいる安心感のもと、挑戦されたいことに向き合えるよう願っています。
それではまいりましょう!

日本で有名な遅咲きの偉人

私が遅咲きの成功者と聞いて真っ先に思い描く人物を最初にご紹介します。

先生等の敬称をつけたい気持ちもありますが、故人かつ実生活で関わりのない有名人や偉人のため、敬称なしで表記しています。

やなせたかし

そうです、言わずと知れた『アンパンマン』の作者です。

アンパンマン
アンパンマン公式ポータルサイト。アンパンマンの最新情報、作者やなせたかしの紹介、テレビ・映画の情報、かべがみ、しゃしん投稿など盛りだくさん!!

「最もキャラクターの多いアニメシリーズ」として、2009年にギネス記録を認定されています。
ストーリーが子どもにも保護者にも受け入れてもらいやすいことや、「アンパンマン」が赤ちゃんに発音しやすい名前ということもあり、赤ちゃんの初めての言葉ランキングにも入っているの、すごいですよね。

実は「ママ」「まんま」じゃない! 赤ちゃんの「はじめての言葉」ランキング1位は? | ダ・ヴィンチWeb
■科学的な調査でわかった「初語」ランキング! 「うちの子がはじめて話す言葉って、いったい何だろう」 赤ちゃんを持つ親なら、当然気になるのがわが子の「初語」(生まれて初めて話す意味のある言葉)だ。それははたして「ママ」なのか、「パパ」なのか、...

幼少期に『アンパンマン』見て育ったという方もたくさんいらっしゃるでしょう。
もちろん子どもや孫へ、絵本やアニメ、キャラクターグッズ、アンパンマンショー等を楽しむ機会をプレゼントした方も、たくさんいらっしゃるはずです。

ただ、この国民的な作品、の知名度が高まるより前、69歳までのやなせたかしが「漫画家として代表作のない」状態だったと知る人は少ないのではないでしょうか。

50歳時点でも修行

1967年6月(当時48歳)、懸賞マンガに入賞した理由をこう綴っています。

売れなかったから応募しただけです。
プロといったって代表作がない。
正体不明で、下手な詩集を出したり、陶器つくってみたり、ラジオのコント書いてたりじゃ、まともな漫画家とは言えませんや、情けねえ!

『人生なんて夢だけど』p166

まだ『アンパンマン』は最初期のものさえ出版されていない頃の話です。
むしろ世間的には、「やなせたかし=漫画家」より「やなせたかし=『手のひらを太陽に』の作詞家」と認識していた人の方が多かったかもしれません。

第三者の「やなせたかし評」も、同時代活躍していた手塚治虫や水木しげるのように 「=漫画家」という印象ではなかったようです。

「……彼の多才ぶりにはいささかあきれる。やなせたかしは、確かに漫画家である。
ではあるが彼の仕事の少なくとも90%は漫画ではないように思える。

ではなぜ『やなせたかしは漫画を描かないのだろう?』という疑問が生じてくるが、理由は便利すぎるため
どのような傾向のものも簡単にいなしてしまい、『オレの漫画は一体どれだ!』という結果になって、漫画家やなせたかしが行方不明になっているからに他ならない」(中略)

決して簡単にいなしたのではないし、多才でもなく、漫画の仕事が激減したので苦しまぎれに何でもやっていたにすぎません。
要するに漫画家としては失格、絶望の深い闇の中でもがいていた時代です。

『人生なんて夢だけど』p167

多才だと言われ食いつないでいくことは出来ても、代表作がない期間。
やりたい仕事をしている、とはいっても、苦難は多かったでしょうね……。

ただ彼は「やなせたかし=『アンパンマン』」の構図が出来る前のことを振り返り、こう記しています。

しかし後で考えると、これは最良の修行期間でした。
学生時代怠けてばかりいたぼくにとって、基礎的な知識のデッサンがやっと身についたような気がします。遅いなあ!

普通の人なら3年くらいで卒業できるくらいのことなのに、ぼくは20年くらいかかりました。
既に50歳を越えてまだスタート地点でうろうろしているとは困ったものです。

『人生なんて夢だけど』p170
もも海
もも海

今までの人生で得た経験が作品に活きること、結構ありますものね!

若いうちに芽が出ず大器晩成でも悪いことばかりではない気がします。

アンパンマンの絵本とミュージカル

その後、1973年に『あんぱんまん』が発行されました。

当初の絵本やミュージカルにはばいきんまんも出てこず、観客の反応を見ながら適宜ウケるものを作っていったようです。

観客の反応を見ているうちに、ぼくはアンパンマンに不足しているものに気がついた
悪役だ! 正義の敵が必要だ!
真っ黒なばいきんまんが登場すると、舞台はひきしまった。

『アンパンマン伝説』p14

ステージは、その場で瞬間的にわかります。
ウケるかウケないか。どこで泣くのか笑うのか。
全く予想外のところでウケてしまってびっくりすることもあります。

たとえばばいきんまんが「ハヒフヘホ―」と笑うと満場大笑い、特に子どもが笑いころげている。
これは面白いというので、「ガギグゲゴー」とか「ラリルレロー」とかやってみたんですが、シーンとしていて全く反応なし。「ハヒフヘホー」だけがウケるのです

そこでばいきんまんの笑いは、「ハヒフヘホー」できまり!
これはまだテレビアニメ化される前のお話です

『人生なんて夢だけど』p210
もも海
もも海

「ハヒフヘホー!」がこんなに私たち(観客・視聴者)基準で選ばれた言葉だと知ってびっくりしました!

69歳『アンパンマン』放送開始、期待度0

『あんぱんまん』が世に出た15年後の1988年(69歳時点)からテレビアニメが放送開始しました。ただ、「満を持して!」」という感じではなく、期待度は0だったようです。

プロデューサーの武井英彦のあいさつは、
何をやっても2%しかいかないという時間帯ですから期待しないでください」。

制作にあたる東京ムービー新社の柳内一彦の言葉は、
「2クール6ヵ月の予定で出発しますが、せめて1年は続けたいですね」。

ぼく(やなせたかし)のあいさつは、
「視聴率が最低の時間帯ならそれ以下には下がらない。上がるだけです」。
みんなしょんぼりしていて、ぼくもしょんぼり。

『人生なんて夢だけど』p232

たしかに『アンパンマン』って、一部地域を除いて平日の午前中か土日の早朝に放送されていますよね。子どもたちが見やすい時間帯とは言えません。
小学校の頃「『アンパンマン』見るために5時起きしたんだ!」と話す同級生に驚いたのを思い出します。
それだけ『アンパンマン』の魅力がすごいということですよね。

アニメほうそう|アニメ・えいが|アンパンマンポータルサイト
アンパンマン公式ポータルサイト。アンパンマンの最新情報、作者やなせたかしの紹介、テレビ・映画の情報、かべがみ、しゃしん投稿など盛りだくさん!!
もも海
もも海

「期待をした分外れたときのダメージが大きい→最初から期待しない
というやり方、メンタルを守るには効果的ではあります。
怒ったり絶望したりしなくて済みますからね。
ただ、なんだか切ないです……。

放送開始当時も、月曜5時にローカル枠全国4局のみというスタートでした。
期待せずにいこう、としょんぼりしてしまうのは、自然なことだったかもしれません。

しかし! 制作陣の予想を大きく外して、7%というその時間帯では考えられないような視聴率がポンと出たそうです。

一躍売れっ子に

その後、1989年3月、アンパンマンは文化庁テレビ優秀映画に選ばれました。

そのとき同席した日本テレビの幹部は、
「まさかこんなことになるとは……」
と後は言葉をにごしてムニャムニャと聞き取れません。

キャンセルにつぐキャンセル。
こんなアニメが現代の子どもに受けるはずがない
と酷評され、最悪の再放送時間帯で全く期待されず、半年で終わると予測されていたのですから意外ということだったのでしょうね。

『人生なんて夢だけど』p234
もも海
もも海

同じく長寿番組な『クレヨンしんちゃん』のアニメが実は「通したい本命のための引き立て案」だったのと一緒ですね! 実際に視聴者へ届けてみて、初めて分かります
時代に求められているものや私たちが欲していたものをバッチリ予測するのはプロでも難しいからこそ、色々つくってみるんですね。

それ以降すぐ全国放送になり、グッズ化やら映画化やらにも繋がって、アンパンマンブームが起きたそうです。
また、1990年には日本漫画家協会賞の大賞を71歳にして受賞しています。

国民的に愛される作品へ

その後はご存じの通り、子どもはもちろん保護者へも広く認知され、国民的に愛される作品となりました。

自閉症の子どもがアンパンマンに対してだけは心を開いて
快活になったりする話をたくさん聞きました。
ファンが1歳半ぐらいから始まるというのも
あまり例がないみたいです。

『アンパンマンVSアンパンマン』p3

『ONE PIECE』でも、『アンパンマン』をリスペクトしたような言葉がありましたよね。

おれ達は海賊だぞ ヒーローは大好きだけど なるのはイヤだ!!
お前ヒーローって何だかわかってんのか!?
例えば肉があるだろ!!
海賊は肉で宴をやるけどヒーローは肉を人に分け与える奴の事だ!!
おれは肉を食いてェ!!!

『ONE PIECE』 64巻634話 ルフィの言葉

第649話でゾロも「酒」に関して、同じように自分はヒーローじゃないと主張しています。

70歳前後から成功を収めたやなせたかしの考える、「人生で成功する秘訣」に関する言葉も深かったのでご紹介いたします。

人生で成功する秘訣は何ですか、とよく聞かれるのですが、そんなことがわかっていたらもっと早くに漫画家になっていたと答えるでしょう。

ただし、あのときにあの人と会っていなければ絵本は描かなかったとか、そのチャンスにもめぐり合えなかったかもしれないということは、確かにあった。
そうした運(めぐり合い)があって、それをつかむために努力をしたから結果が出たということだけは、経験的にお伝えすることができます。

遅咲きのぼくにしてみれば、運が70%、努力が20%、あとは天分というような割合になるでしょうか。

『やなせたかし みんなの夢まもるため』p117

まとめ

いかがでしょうか。
やなせたかしは年金受給者になってから成功をおさめた、遅咲きの偉人です。
そのため、人生を長い期間苦労して、酸いも甘いも嚙み分けたからでしょうか。
中々に深い言葉が多く、だいぶ削ったはずなのに引用が多くなってしまいました……。

・色々な仕事をやっていたため60過ぎても「代表作がない漫画家」
 →人生で得た経験が作品に活きる

・ミュージカルで観客の反応から「ばいきんまん」等を試行錯誤して創る
 →世に出して反応を見ながら創り上げる

・ヒーロー像を教えてくれる
 →人へ分け与える存在、GIVER

・ 成功の秘訣
 →運(めぐり合い)が70%、努力が20%、あとは天分

他にも、
愛と勇気だけが友達さ」=「仲間を巻き込まず戦いへ挑む」
(「俺達友達だよな?」と悪いことに巻き込もうとするのは友達とは言えない)
をはじめ、何の気なしに見聞きしていたメッセージに深い意味が込められています。

よろしければぜひ、やなせたかしの本なりネット記事なりで「ほ~」としてみてください。

もちろん、やなせたかしにはやなせたかしだけの、貴方には貴方だけのご経験があるはずです。
その上で、年齢や病気に負けずにアンパンマンワールドを展開してくれたやなせたかしのような可能性を、私たちは持っていると言えるでしょう。

ぜひ、年齢を理由に諦めるなんてもったいないことされないでください。
少しずつでもやってみましょう!

もも海
もも海

最後までご覧いただきありがとうございました!
やなせたかしより昔に活躍した、もう2人の「日本で有名な3名の遅咲きの偉人」に関しましてはこちらの記事をご覧ください。

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